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残波岬の謎

※この記事は広報よみたん2020年7月号特集記事の再掲です。

知ってると新しいものが見えてくる

沖縄本島のほぼ中央に位置し、東シナ海に大きく突き出した残波岬(ざんぱみさき)。
 高さ30〜40mにも及ぶ隆起サンゴ礁の絶壁が約2kmに渡って続く、沖縄県内有数の景勝地として知られています。
 その雄大な景観は観光客にも大人気の観光スポットとなっています。
 そんな残波岬や残波岬公園を散策すると、「あれって、なんだろう?」「なんで、こんなところにあるんだろう」と、疑問に思うものが、たくさん点在しています。
 「なんとなく見てはいたけど、本当は何か知りたい!」と思う人も多いハズ。
 そこで今回は、残波岬で見つけたさまざまな謎について、その正体に迫ります。

残波岬の9つの謎

  1. 残波岬の灯台は国内でも有名な灯台?

  2. 西ノ神之屋はあるけど、”東”は無いの?

  3. なぜここに?こつ然と鎮座する巨石

  4. 泰期像の”指”はどこを指してるの?

  5. なぜ残波には大きなシーサーがいるの?

  6. この歩道橋・・・意味あるの?

  7. 遊具のそばにある大きな箱の正体は?

  8. 謎の石碑が並ぶミステリーサークル?

  9. 潮吹穴って本当に潮が吹くの?

残波岬の9つの謎

1.実は、国内でも数少ない”のぼれる灯台”

白亜の残波岬灯台

残波岬の灯台は、全国で”のぼれる灯台”16基の内の1基で、高さ31mと沖縄一高い灯台です。昭和49年の点灯以降、船舶の航行の安全を照らしています。

 参観料(中学生以上300円)を払って中に入り、頂上までの99段の階段とはしごを登りきると、遮るものがなにもない絶景の大パノラマを堪能できます。

灯台頭頂部からの眺望

2.対となる”東ノ神之屋”もあります

東ノ神之屋(アガリヌカミヌヤー)は、ニライカナイ(海の彼方にあると言われている理想郷)に通じると言われる拝所で、航海の安全、そして出征兵士のための武運長久も祈願されてきたと言われています。
 西ノ神之屋は東ノ神之屋と対になる拝所で、同様に航海安全、武運長久を祈願したとされ、両神之屋はかつて芝生道(神道)でつながっていたとも言われています。

観光客の目にもとまりやすい灯台近くの”西ノ神之屋”
絶壁の一角にひっそりと佇む”東ノ神之屋”

3.台風によって動いた巨石

絶壁から上がった大波によって動いたと言われる巨石

この巨石は、1990年10月6日の台風21号による猛烈な風で作られた大波によって、重さ50~94トン(推定)の巨石が動いたとのことです。
 「大自然の力をあなどるな」との教訓が、このような形として残っています。

4.泰期像の指は「中国・福建省」を指している

中国を指し示す泰期像

沖縄の一番古い歌謡集「おもろさうし」に謡われている、読谷村の豪族であった泰期は、琉球王朝時代、時の中山王「察度王」の命を受けて初の進貢使(明・清皇帝への進貢のために、中国に派遣される使者)として、初めて中国へ派遣され、中国の文物を琉球王国に正式ルートで導入した先駆者でした。
 当時の船旅は、生命の保障の無い危険な旅路で、特に「唐旅」は「あの世への旅立ち」を意味する程に厳しいものであり、その唐旅を5往復もした「泰期」は勇者として讃えられています。
 読谷村では大貿易時代を先導した泰期を「商売の神様」とし、読谷村商工会35周年、村制100周年を記念して2008年、「泰期像」を完成させています。

5.先人の勇敢さを称え、村民の手で作り上げた

高さ8m75cmの残波大獅子

読谷村の先人は、帆船で大海原を乗り越え中国をはじめ東南アジア諸国と交易を深め、文化文物を取り入れ、産業、伝統文化発展の基を拓きました。
 そこで、先人の勇敢さを称え、その進取の気性を受継ぎ、読谷村民みんなの手で作り上げようと、残波の地に大獅子が建造されました。
 彫刻家の金城実氏をはじめ、村民1000人規模の大プロジェクトにより昭和61年に完成した残波大獅子は、今もなお大海を見据え、私達を見守っています。

6.むかし、公園内を走っていたサイクル列車の名残

歩道橋から撮影されたサイクル列車

その昔、残波岬公園内には乗客全員が自転車のペダルを漕いで走る、サイクル列車がありました。
 この歩道橋はその名残で、サイクル列車のレールが環状に敷設されていたため、その内外を行き来するためのものでした。

歩道橋の下にはレールが敷かれていたと思われる

7.大きな箱の正体は、サイクル列車の車庫

作成当時の「巳年」にちなんだ、なが〜いヘビの壁画

いまもなお、サイクル列車の車庫は残されていますが、平成25年、新たに整備する公園の記念として、読谷高等学校美術部による巨大壁画が作成されました。
 その裏側には、アーティスト「モンゴル800」のみなさんが、自身のミュージックビデオの撮影のために描かれた壁画があります。

横18mいっぱいに描かれた「モンゴル800」の壁画

8.実は「宇宙展望広場」という子どもたちのプレイエリアだった

木でできた大迫力のアスレチック遊具

平成元年に誕生した「宇宙展望広場」は、当時の残波岬公園計画のもと、”子供広場ゾーン”として整備され、木造のネット遊具が作られました。
 名前の由来は不明ですが、空高く突き上げられた遊具は子どもたちに大人気でした。
 現在では老朽化のため遊具は撤去され、その名残として当時の案内(遊具の使い方)を示す石碑が残るのみとなりました。

9.現在は、安全対策のため穴はふさがれています

”潮吹穴”があった場所を示す石碑

潮吹穴は、荒天時絶壁を打ち付ける荒波が、洞穴を通り、潮吹き穴から外へ吹き出したと言われています。
 条件によっては10m以上も吹き出したとのことですが、今では安全対策のため、穴はふさがれており、穴から潮が吹かれる様子は見られなくなりました。

潮吹穴のイメージ図

最大の謎は、「残波岬」の名前の由来

公園整備前の残波岬

荒磯により、断崖絶壁をも乗り越えた”波”が岩に”残”ることから「残波」と名がついたと諸説ありますが、残波岬の名前の由来は、今もはっきりしていません。
 昔の資料ではカタカナ表記で「ザンパ」と記されていたり、古い地図には大西峠や「さきよだ(先のとがった枝の意)」と記されていたりと、まだまだ多くの謎が残されています。